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大阪地方裁判所 昭和36年(行)61号 判決

入国者収容所内(仮放免中)

原告

劉永懐、木刀魚こと

小野福太郎

右訴訟代理人

菅原昌人

石川元也

被告

法務省大阪入国管理事務所主任審査官

島村常雄

主文

一、被告が原告に対し、昭和三三年八月二七日付、退去強制令書を発付してなした退去強制処分は無効であることを確認する。

二、原告の請求の趣旨第二項の訴を却下する。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立。

(原告)

一、主文第一項と同旨。

二、被告が原告に対し、右退去強制令書により継続している強制収容処分はこれを取消す。

三、主文第三項と同旨。

(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者双方の事実上並びに法律上の主張

(原告の請求原因)

一、原告は、一九三〇年、中国東北地方(旧満州国領)で日本人の父母の子として生れた日本人である(国籍法二条一号)。而してながく中華人民共和国に滞留していたが、昭和三三年五月二七日、舞鶴港に上陸して帰国した。

二、被告は、原告を中国人なりと認定して同年六月三〇日、出入国管理令三九条により収容処分をし、更に同年八月二七日付で同令二四条により本邦外に退去を強制する旨の退去強制令書を発付し、これに基き収容処分を継続している。

三、しかし、右日本人である原告を中国人としてなした退去強制令書発付処分は当然無効であるからその無効確認及びこれに基く収容処分の取消を求める。

四、なお、原告が入国審査官の調査の段階で一時自らを中国人であると認めたことはあるが、それは知能の低い原告が執拗な入国審査官の取調、追及にあつて誘導された結果供述したものである。

(被告の答弁と主張)

一、請求原因事実の認否。

請求原因一のうち原告が昭和三三年五月二九日舞鶴港に上陸して本邦に入国したことは認めその余は否認する。

請求原因二は認める。

請求原因三、四の主張は争う。

二、本件処分の経過。

(一) 原告は、昭和三三年五月二二日頃、中国の塘古港より引揚船白山丸に乗船し、同月二七日舞鶴港に上陸して本邦へ入国したが、上陸に際し同港派遣入国審査官の調査によつて日本国籍を有することが認められず、外国人と認定された。

(二) その結果、原告の上陸は出入国管理令三条違反容疑を構成し、同令二四条一号該当者となるので、同令二七条、四五条により入国警備官並びに入国審査官の違反調査の対象となつた。そして調査の結果、原告が日本国籍を有するとの資料は見出されず、外国人であると認められたため、被告は同令三九条に基いて収容令書を発付し、同年六月三〇日強制収容した。

(三) そして原告は同月一七日の第二回違反審査の際、また同月二六日にも自分が中国人であることを認め、中国への送還を上申し、七月一八日の入国審査官の同令二四条一号該当認定に際しても全面的にこれを承服し、同令四八条による口頭審理請求の理由としても単に送還の方法のみを申述した。そうして同月二八日から八月一九日の間前後六回に亘る特別審査官の口頭審理及び同月一九日の同令四九条による法務大臣に対する異議申立の審議の各段階でそれぞれ外国人と判定、裁決されたので被告は三三年八月二七日、同令四九条五項に基き五一条の規定による本件退去強制令書を発付しこれに基き収容処分を継続しているものである。

三、原告が外国人であるとの認定の相当性

(一) 出入国管理令上「外国人」とは「日本の国籍を有しない者」(二条二号)をいう。日本の国籍を有するか否かは国籍法の定めに依るべきところ、旧国籍法によると日本国籍を取得する原因が種々挙げられているが、原告の場合、原告が日本に生れたこと、日本人の入夫となつたこと、日本に帰化したこと(同法四条五条二号、五号)は考えられないところであるから問題となる余地はなく、次の四つの場合が問題となる。

(1) 原告出生当時原告の父が日本人であつたことによる日本国籍の取得(旧国籍法一条、現行国籍法二条一号)

(2) 原告の父が知れない場合又は国籍を有しない場合において原告の母が日本人であることによる日本国籍の取得(旧三条、現行二条三号)

(3) 日本人たる父又は母によつて認知されたことによる日本国籍の取得(旧五条三号、六条)

(4) 原告が日本人の養子となりたることによる日本国籍の取得(旧五条四号)

原告は右(1)を主張しているが、そうだとすれば「原告出生の当時原告の父が日本人であつた」ことを要するところ、国籍法にいう父とは法律上の「父」をいい、事実上の父はこれに含まれないと解すべきであるから、国籍法上父が日本人であつたというためには、(イ)自然的な意味合いにおける父が日本人であつたことのみでは足らず、更に、(ロ)その父と子が法律上父子関係にあつたこと、すなわち、その子が「嫡出の子である」か又は「出生と同時或いは胎児中に父の認知を受けた非嫡出子」であることを必要とする。

(二) しかるに原告の場合はこのいずれの要件をも充たしていない。まず、自然的な意味合いにおける原告の父が日本人であつたか否かは、まず、父が誰であるかを確定し、その者が日本国籍を有していたか否かを調べればよい訳であるが、原告の父が誰であつたかを確定する資料はなく(この点の原告の申立はめまぐるしく変化し、且つ曖昧である)、父の本籍地についても不明であつて調査確認の方法がないので、この点から原告の父が日本人であつたかどうかを確定することは不可能である。そこで別の観点、例えば人類学的見地からの確定方法も考えられるが、本件ではこの方法によつても原告が日本人かどうかは確定し得ないと鑑定されたのであるから、原告の父が日本人であつたか否かも不明という他はない。

(三) 仮りに自然的意味合いにおける原告の父が日本人であつたとしても、前述のとおり更に(イ)原告が嫡出子であつたか否か、又は、(ロ)原告が出生と同時、或は胎児中に父の認知を受けた非嫡出子であつたか否かを確定しなければならないところ、

(イ) 嫡出父子関係の有無は、法例一七条により父の本国法たる日本法により決定されるから、原告が父の婚姻によつて生れた子であることを要し、その婚姻とは婚姻届があつてはじめて成立するのであるが、原告父母の本籍地も不明なため戸籍簿によつてこれを証明し得ず、原告の供述が唯一の資料となるところこれは措信するに足りず、かえつて、原告の母は父の妾の中国人ではなかつたかとも推認できる位であり、原告の父母が法律上婚姻関係にあつたかどうかは全く不明であり、

(ロ) 原告が非嫡出子として、認知をうけたか否かについては、これを積極に示す何らの証拠もない。

のであつて、原告と父とが法律上も父子関係にあつたとすることはできない。

(四) よつて、「原告の父が日本人であり、しかもその両者が法律上父子関係にあつた」か否かは全く不明であるから本件においてはむしろ「父が知れざる場合」として前記の母が日本人であること(旧三条、現行二条三号)の該当の有無を検討しなければならない。しかしこれまた父が日本人か否かの不明なると同様、全く不明のことに属し、この場合にも該当するということはできない。

(五) その他原告が日本人であるとする資料はない。甲第二号証の三には原告が中国において外国人居留民登記に日本人として登録されていた旨の記載があるが、登録されるに至つた根拠は明瞭でなく、かえつて同証の記載から原告の一方的申出のみによることが窺われるのでこれをもつて原告が日本国籍を有すると断ずることはできない。かえつて、元在満日本公館において、原告のいう日本人名に該当する出生届を受理したことのない事実、厚生省引揚援護局作成の未帰還者死亡者名簿に原告のいう日本人名の該当者のない事実からしても、原告は日本に国籍を有しないというべきである。

四、以上、原告が「日本に国籍を有する者」といえない以上、原告を出入国管理令上の外国人と認定してなした本件退去強制令書発付処分には何らの違法はない。

五、仮りに原告を外国人と認定することが誤りだとしても、その判定は極めて微妙であり、少くとも原告が日本人なることが客観的に明白であつたということはできないから、そのことにより本件処分が当然無効となるものではなく、従つてまた、本件強制収容処分も適法というべきである。

第三、証拠<省略>

理由

昭和三三年五月二七日、原告が中国からの引揚船白山丸に乗船して舞鶴港に入港し上陸して本邦に入国したところ、被告が原告を外国人であると認定して同年六月三〇日出入国管理令三九条により収容令書を発付して収容をし、更に同年八月二七日、同令二四条に基き、同令五一条による退去強制令書を発付し、更にこれに基き収容を継続していることは当事者間に争いない。(尤も、原告の主張によれば、被告は原告を中国人なりと認定したとのことであるが、出入国管理令二四条の退去強制処分をするには、外国人であると認定すること、即ち日本の国籍を有しない者であること(同令二条二号)の認定を以て足り、日本以外のいずれかの国籍を有するまでの積極的認定は必要でないから、右中国人なりと認定したとの主張は、同令二四条の適用上外国人なりとの認定をしたとの主張と解すべく、従つて、その限度で被告がその様に認定したことにつき争ないこととなる。)

出入国管理令(以下単に令という)の定めるところによれば、主任審査官は、令二四条の各号の一に該当する外国人については同令第五章の手続を践んだ後、同令五一条に定める様式の退去強制令書を発付してこれを本邦から退去を強制することができるのであるが、右退去強制処分をするについては、処分に当り、被処分者が外国人であると認定できることが大前提であり、外国人であると認定できない者を外国人であるとして、退去強制処分をすることは明らかに違法であり、かつその点の違法は重大であつて、その誤りが客観的に明白な場合は、当該処分を当然無効ならしめるものと解する。

本件は、原告は自己を日本に国籍を有する者と主張し、被告はこれを外国人と認定したことが適法であると主張するので、以下被告のその外国人と認定したことの適否につき判断する。ところで、令二四条にいう外国人であるとするためには、令二条二号にいうとおり日本の国籍を有しない者でなければならない。ここに日本の国籍を有しない者とは、日本以外のいずれかの国の国籍を有する者を意味しないで、ただ日本の国籍を有しないことの認定が得られればよいのではあるけれども、その場合でも「日本の国籍を有することの積極的証明が得られない」というだけで直ちに外国人として扱つてよいのか、「日本の国籍を有しないことの明らかな証明」を得た場合(尤もこの様な消極的事実の証明を要求することは事実上困難を強いるものであるから、それは積極的事実……日本の国籍を有すること……の存在する蓋然性が存しないという程度の証明をもつて満足する他はないであろうが)に始めて外国人として扱うべきかの問題が存する。当裁判所は、外国人として令二四条を適用するときは、国外退去を強制できるものであり、これは人の居住選択の自由を剥奪することとなる処分であること、しかもその前提となる国籍の存否の認定(強制退去処分自体の効力が人の国籍を左右するものではないとしても、処分を受けた者に対し事実上、これと等しい効果を及ぼすであろう)ということは人の身分に連なる重大な問題である(吾人の生活地位は国籍の如何により決定づけられるといつても過言でない)ことに鑑みると、出入国の公正な管理を保持すること(令一条)が、国の保安と公共の福祉とに重大な影響を持つ事柄である点を考慮に入れても、なお令二四条を適用する上においては、相手方が外国人であるとの断定を下し得る場合であることを要すると考えるから、前記後者の解釈に依るべきものと解する。従つて、日本の国籍を有することの積極的証明が得られない場合でも、他方に日本の国籍を有することの蓋然性が残つているうちは、外国人であると断定することはできず、これを外国人として扱うことは許されないと解する。そうして、主任審査官は処分に当り、右外国人であることについての証明の責任を負担すべきものと解するから、たとえ相手方が自ら何ら日本国籍を有することの証明を尽さない場合でも、右日本の国籍を有することの蓋然性が残つている限り、これを外国人と扱うことはできず、従つてこれを外国人なりとして退去強制処分をすることは違法といわなければならない。なお、この様な解釈については、令四六条の解釈上からの反論も予想されないではないが、右令四六条で容疑者に立証責任の課せられるべき事項は令二四条一号から三号の各号に該当しない点(同一号でいえば、三条に違反しないこと、即ち有効な旅券又は乗員手帳を所持していること)のみであつて、その前提となる外国人であることは処分庁がその挙証責任を負うべく、容疑者に対し外国人でないことの立証責任まで負担せしめた規定とは解せられないので、前記解釈は令四六条と矛盾するものではない。そこで、右の観点から、本件につき原告を外国人(日本の国籍を有しない者)と断定し得るか否かにつき判断する。日本の国籍を有する者であるか否かについては、国籍法の定めるところによるべきであるが、原告が現行国籍法施行の日(昭和二五年七月一日)以前に出生していることは本件記録上明らかであるから旧国籍法(明治三二年法律第六六号)によつて日本国籍を取得していたとすれば、勿論日本の国籍を有する者とされるから、原告の場合、現行国籍法のみならず、旧国籍法による日本国籍取得の有無も問題とされなければならないところであるが、本件の場合弁論の全趣旨に徴し、原告が日本に生れたこと、日本人の入夫となつたこと、日本に帰化したこと(旧法四条、五条二号、五号、現行二条四号、三条)はいずれも問題となる余地はなく、専ら次の四つの場合を考えれば足りるものと考える(この点は、被告の主張するとおりである。)

(1)  原告出生当時、原告の父が日本人であつたことによる日本国籍の取得(旧一条、現行二条一号)

(2)  原告の父が知れない場合又は国籍を有しない場合において原告の母が日本人であることによる日本国籍の取得(旧三条、現行二条三号)

(3)  日本人たる父又は母によつて認知されたことによる日本国籍の取得(旧五条三号、六号)

(4)  原告が日本人の養子となりたることによる日本国籍の取得(旧五条四号)

本件原告が主張する日本国籍の取得原因は右(1)の場合であるので、まず、この点から考察する。

ところで本件全証拠によつても、原告が出生当時原告の父又は母が日本国籍を有していたことを直接に確定できる資料はない。尤も<証拠―省略>によると、原告は父母が日本人である旨供述している。しかし、この供述を措信するとしても、右日本人というのは自然的な意味合いにおける日本人種であるというに過ぎず、そのことから法律上その父母なる人が原告出生の当時日本国籍を有していたことは確定できず、まして、被告の主張する様に国籍法の解釈として父というのが法律上の父子関係を要するとすれば、なおさら右供述のみからこの点を確定することはできない場合であり、しかも、原告は成立に争のない甲一号証により認められる知能指数四〇前後と鑑定された事実と弁論の全趣旨に徴しかなり知能程度が低い上、後記認定の終戦後中国の軍隊に従軍中に受けた頭部の負傷に起因すると推認し得る記憶力の減退を来しているからその供述自体のみをとつて父母が日本人であることを確定する資料とすることはできない。よつて、右供述の存することによつては原告が日本国籍を取得した者(旧一条、現行二条一号)ということはできない。

そこで本件ではまず原告の父が原告の出生当時国籍を有していたことの蓋然性の有無につき審究しなければならない。

終戦前の原告の生い立ちについては、後記原告の供述を措いて直接には他にこれを証するものがないのでしばらく措き、尠くとも<証拠―省略>を綜合すると次の事実が認められる。原告は終戦当時旧満洲領長春(新京)市にあつて、その後一時動静を把むことはむつかしいが、間もなく所謂八路軍又は中国解放軍と行を共にし(軍人ではないが従軍して雑役や医務、通信等の手伝をする様な仕事に従事)ていたが、その頃から日本名を小野福太郎と自称し中国名を木刀魚と名乗つていた。そして右軍隊について諸方を転々とするうち砲弾のため頭部に怪我をしたこともあつた。昭和二六年頃軍隊から永年にある国営農場の方へ送られ、ここで訴外軽部敞夫、中沼啓らとともに日本人集団に属して生活する様になり(中国側当局はその間原告を日本人として扱い、右国営農場へも日本人として送り込んで来たものである)、その後昭和二八年頃迄その農場にいたが、また他処へ移転させられた(その頃、在留日本人は中国側当局の指示によつて諸々方々へ移動せしめられることはしばしばであつた。)。そして、昭和三三年頃山西省寧武県で植林の仕事に従事中、中国に在留する日本人が故国に帰国できることを知り原告は自己を日本人と信じていたし、中国側でも日本人として扱つていたので、帰国申請の手続をとつて、同年五月中旬他の帰国希望者と太原に集り、そこから汽車で天津を経て塘古港に集結し、五月二二日、同港出船の引揚船白山丸で舞鶴へ入港して本邦へ上陸したことが認められ、後記乙第七号証の一、二を除いてこの認定と著しく反する証拠はない。

ところで、終戦前の原告の生い立ちについては、これを直接見聞した証人がないため、結局原告の供述による他はない。右に関する原告の供述としては、<中略>が存するが、それらは乙第七号証の一、二を除き、その細部においては喰い違いもあり、一見矛盾牴触する部分もあり、迂途曲折に富んではいるが、尠くとも「原告は昭和五年頃長春(新京)市で生れ、両親は小野姓を名乗る日本人で、父は日本の軍人若しくは官吏をしていて一五才迄ほぼ同市で一緒に生活していたところ、一五才(昭和二〇年)の終戦直前ソ連軍の満州進攻に際し、両親は砲(又は爆)撃に会つて死亡し、孤児となり、近所の中国人に拾われて面倒をみて貰つていたところ、間もなく前認定の中国の軍隊と行を共にする様になつた」という大筋においては一致しているのである。そうして前認定の原告の知能程度や記憶力の減退等のことから原告の供述はかなり割引いて聞かなければならないとしても、右数度に亘る各種の供述のうち右大筋において一致する部分のあることは、一応注目しなければならないところであり、右供述の真偽を更めて検討してみなければならない。

成立に争のない乙第七号証の一二(検察官に対する供述調書)によると、「原告は中国吉林省楡樹県羅家頭に生れ、父は劉青山、母は王貴香という中国人であり、一五才のとき八路軍に入り、潘陽ハルピン等を遍歴した後一九五三年北京へ行きそこで四、五ケ月の訓練の後、軍政治部の偵察所の偵察員となり、本件当時、上司の命を受けて日本の木村という人物に手紙を渡すため日本人と詐つて本邦へ入国して来た」旨の供述も存し、更に前記甲第一号証によると、原告は入国審査官川崎時忠の取調に対しても同旨の供述をしたことがあることが認められるが、右供述は、前記甲第一号証、同一五号証の二と原告本人尋問(第一回)の結果に徴し必ずしも原告が任意に述べたものとも解し難く、且つ前記甲第一号証に、前記甲第一二、一三号証により認めうる原告が引揚船の船中で「北海道に叔父がいて日本共産党の遊撃隊をやつているのでそこへ行くのである」旨を口走つたことを綜合すると、当時原告は諜報員との嫌疑を掛けられて取調を受けたことが認められるところ、前記原告の知能程度と、前記甲第一一、一二号証により認められる当時原告が引揚船の船中から精神的動揺と興奮につつまれていた事実とに徴すると、取調官の誘導に迎合して虚偽の事実を申し立てたと考えられるのみならず、その供述内容を他に補強する何らの資料も見出し難いのであつて、到底この供述に信を措くことはできず、従つてこの供述は前記他の諸供述の一応の大筋において一致する申立を排斥する資料とすることはできず、この点の真偽はなお別の観点から吟味しなければならない。

而して、本件において右申立のうち、その蓋然性の有無を吟味しなければならないのは、両親が日本人であるという部分である。何となればこの父母が日本人であるとの申立それ自体は、直接には人種的な意味における日本人であるということと、父母との続柄も自然的な意味合いにおける親子関係が存するということしか意味しないとしても、そのことから、日本人であつたとすれば、日本国籍を有していたことの蓋然性は極めて大きく、また、父母とも日本人であつたとすればその父母は婚姻関係にあり、原告がその嫡出の子であることの蓋然性も否定し得ないことととなるから、国籍法の解釈上、被告の主張する様にその父子関係が法律上の父子関係でなければならないものとしても、なお、出生の当時父が日本国籍を有していたことによる原告の日本国籍の取得(旧一条、新二条一号)の蓋然性を否定することはできなくなつてくるものといわなければならない。

そこで右原告の申し立てる父母が日本人であるということの蓋然性の有無について考えてみる。当裁判所は次の(イ)乃至(ホ)の諸点を綜合し、これに前記の一貫している大筋を考え併せると、原告の父母が日本人であるという申し立てを全く虚偽のものとして排斥できないばかりか、相当高度の蓋然性を否定できないものと判断する。

(イ)  原告は父の所持していた印鑑であるとして、日本人の姓名である「小野福太郎」と刻印した印鑑を所持すること及び父が小野姓であることは可成り確度の高いものと考えられること。

(ロ)  母の名前が日本人女性の名である「たね」又は「タネ」との推測が可能であること。

(ハ)  生活様式その他において日本人としても矛盾しないところがあること。

(ニ)  中国の当局が長い間原告を日本人として扱つて来たこと。(同時に、中国側の何らかの機関が原告を日本人に仕立て諜報員として送り込んだと想定することは全く困難であること。)

(ホ)  人類学的鑑定の所見から原告が日本人たることを否定できないこと。

の諸点である。

以下右の諸点を証拠に照らして簡単に説明する。

(イ)  印鑑の出所及び、小野姓の確度について。

原告本人尋問(第一、二回)と検甲第一号証の一乃至三により原告が現に「小量福太郎」と刻印する印鑑を所持することは明らかであり、右本人尋問の結果によるとこの印鑑は前記原告が一五才の終戦のとき、父が爆死した際、その懐から取り出して爾来所持しているものであるというのである。一方前記乙第一三、一四号証によると自分の名前を小野福太郎と思つていたから終戦後(昭和二四年)に天津市内で自分で作つたという供述をしているが、他方証人軽部敞夫、同中沼啓の証言によると、原告が前記認定の永年の国営農場へ来た際、その所持する右印の出所につき右本人尋問における供述と同旨の説明をしていた事実が認められるから、右乙第一三、一四号証における供述は必ずしも措信し難く、右本人尋問による供述の方が信用性が高いと考えられ、そうすると、右印鑑が父の持つていたものとすれば、父が小野福太郎と名乗る日本人であつたということは相当根拠のあることとなる。また、乙第一三、一四号証をそのままとるとしても、原告はその刻印の際、自己の名前として小野姓を記憶していたということになるのであつて、強いて日本人を装うため日本人の姓名の印を作つたという説明をつけない限り、たゞ漠然と小野姓の印鑑を作るということは不自然であり、このことからも父が小野姓であつたということはかなり確度の高いことではないかと思われるのである。そうして右原告が強いて日本人を装おうとしているとの想定は、後記原告が諜報員であるとの想定とともに非常に困難であることは後に説明するとおりである。

(ロ)  母が日本女性であるとの推測が可能である。

原告の供述中、母については抽象的に日本人であるという他具体的記述は少いが、前記甲第一五号証の一と原告本人尋問(第一、二回)によると母の名前を「タネ」(ターネーとも聞える)と発音している。原告本人は日本語を解せず通訳を通じての供述であるから、しかく断定することはできないが、右タネ(又はターネー)は中国の女性の名とすればいかなる文字をもつて表すのかむつかしいが、日本女性のとくに原告の母という位の年輩の者として「タネ」又は「たね」と解すれば決して奇妙な名前ではなく、あり得る名前である。従つて、原告のこの点の供述から母が「タネ」又は「たね」の名前を持つ日本女性である可能性を否定することはできない。

(ハ)  生活様式等における日本人としての可能性。

原告は、日本人学校へ二年迄行つたと述べているが、原告が日本人であるとの申立を維持しようとする限り日本人学校へ行つたことは当然述べなければならないところであるから、これは余り重視すべきではないが、両親と生活をしていた頃の食事が米食(原告本人尋問(第二回)甲第一五号証の一)で、日本の漬物(原告本人尋問(第一回))や味噌汁(同(第二回))を食べ、母は和服を着ていた(同(第一回))などの点は必ずしも作りごととも受けとれず、また、証人中沼啓の証言による洗顔の方法における日本人的習性も原告が日本人であることの可能性を否定し得ない資料となる。

さらに、原告本人尋問(第二回)の結果と検甲第二号証の一によると、原告が種痘痕を有することが認められ本人はこれを幼時に接種したものと供述している。成立に争ない乙第一五証によつても日本人として育つた者は種痘痕を有することが一般であり、少くとも種痘痕を有すれば日本人である可能性を否定できない一つの証憑ということができる。乙第一五号証には右種痘痕は新しいものであると記載しているが、右本人尋問において当裁判所が実地に見分したところからも肉眼で見ただけでは直ちに新しいものと断定することはできず、右乙第一五号証のその点の記載は採用できないから、原告の供述による幼時に接種したことを全面的に排斥することはできない。また、右乙第一五号証によれば原告の足には下駄等の鼻緒のあとが発見できないから日本人と認められないとの記載があが、原告は長く中国で暮し、且つ前認定のとおり終戦後はほとんど中国人の間で暮していたのであるから、下駄等鼻緒のある履物を用いる機会がなかつたとしても、決して不思議ではないから、これをもつて、原告が日本人でないとする資料とすることはできない。

(ニ)  中国側が原告を日本人として扱つていたことと原告が諜報員とは認め難いこと。

証人軽部敞夫、同中沼啓の証言によると、原告が永年の国営農場へ送られて来た際、中国当局はこれを日本人として送り込んで来たこと及びその身上書に該る「案書」には日本人と記載されていたことが、成立に争のない甲第七乃至一四号証によつて引揚に際しても勿論中国側はこれを日本人として帰国の手続をとつたこと、とくに甲第一一乃至一三号証によると、乗船の際不審も抱かれて太原の公安局へ問い合せたところ日本人であるとの回答があつたことがそれぞれ認められ、他にこれらに反する証拠はない。尤も前記甲第八号証等によつても終戦後中国側も相当に混乱のさ中にあつたと認められるから、右中国当局が原告を日本人として扱つたのは他に確たる調査を尽した上でのことであるかどうかは疑わしく(その様な調査がなされた証拠はない)、本人又は周囲の者の申出(原告の場合、原告を拾つてくれた近所の中国人とも推認できるし、また原告本人尋問(第一回)によれば父のもとの部下が長春で警官をしていて、その者の申告によつたともいうが同(第二回)ではこれを否定している)によつたところをそのまま受け入れこれと前記小野の印鑑を所持するなどの点とを併せて、前記案書の作成等がなされ、これが引き継がれていると考えられるから、この中国当局が原告を日本人として扱つていたということ自体は決して原告が日本国籍を有する者と確定する資料となり得るものではない。然しながら一方長期間に旦つてその扱いを維持しつづけ、また、証人軽部敞夫同中沼啓の証言による様に、日本人集団の側においても疑問を残しつつもともかくこれが受け入れられ、そうして日本人集団と一緒に帰国の運びとなつていることを考えると、少くともこの間、この認定(日本人であるとの)を覆えすに足る資料が発見されて来なかつたということは間違いのないところであろう。そうして、この様に本人が日本人だといつておりこれに符号する様な印鑑を持つている場合、積極的にこれを否定する資料が出て来なかつたということは一応本人の申立に或程度の信を措いてもよい情況資料とはなり得るものと考えなくてはならない。

そして、この点で、原告が入国の当初に嫌疑をかけられた様に諜報員として日本人に仕立てられて送り込まれて来たものだとの想定に立てば、右中国側が原告を日本人として扱つて来たことも、小野の印鑑を所持することも極めて容易な説明が得られるであろう。しかしながら、その点は、前記認定の原告の知能程度が右諜報員という職務の性質と両立しないことが明らかであること、成立に争ない甲第六乃至一〇号証により認められる引揚業務の性格から推して中国側があえて引揚者の中にその様なものをまぎれ込ませて万一発見された場合物議をかもすかも知れない様なことをするとは容易に考えられないこと、更に前記甲第八及び一〇乃至一四号証により認められる中国側から乗船に際しあらかじめ引取りに行つた日本側代表に対し原告を注意人物(精神薄弱者という意味及び日本語が分らないということで)としてとくに留意を要請していること等に鑑みると前記諜報員云々の想定は全く困難なむしろ荒唐無稽なものというべきである。さらに、これに併せて、右諜報員云々は別問題としても、原告自身が中国人であるのに拘らず自ら日本人と偽つてずつと日本人らしく装つているのではないかということであるが、それはかえつて弁論の全趣旨に明らかなように日本語を解せないということは原告にとつて故意に日本人を装うにはむしろ不適当な条件を備えていることとなるし、また、原告が故意に日本人と詐つて日本へ入国しなければならない動機を持つているとも認められずかえつて入国の動機は原告が供述する様に日本人と信じているから日本へ帰国したかつたというのが真実の気持であると思えてくるのである。

(ホ)  人類学的鑑定の所見から原告が日本人であることを否定できないこと。

このことは成立に争のない甲第四号証、同第五号証の一、二と鑑定人須田昭義の鑑定の結果に徴し明らかなところで敢えて説明を要しない。

ところで、右(イ)乃至(ホ)の諸点に拘らず、前記原告の供述を深く疑わせ、若しくは原告が日本人ではないのではないかとの認定に導く様な証拠もないことはない。即ち、

(い)  原告は日本語を解せず、とくに「小野福太郎」も日本読みの「オノフクロウ」と発音するのではなく、「シヤオエイフーターラ」と中国続みをする(原告本人尋問(第一、二回)と、前記第一五証の一)こと。

一五才の時まで、日本人の両親と生活していたなら日本語を全く忘れることは不可解であり、とくに名前の日本読みが出来ないのは極めて不可解である。

(ろ)  原告が父(それが日本人としても)の妾(中国人)の子ではないかとの疑もある。

即ち、前記乙第八号証の一、第九、一三号証には父に中国人の妾があつたといい、或はこれを義母とも述べている(しかし、後原告本人尋問(第一、二回)では否定)点、前記甲第一一乃至一三号証によると帰国の車船中で母は日本人とも或は中国人とも話していたとの点、鑑定人須田昭義の鑑定書中、原告を混血児とするとその身体形質についての説明が可能である様に思われる旨の記載があること等を綜合すると、父に中国人の妾があつて、その者の子供ではないかとの推定も可成無理のない推定となつてくる。

(は)  成立に争のない乙第一六乃至一八号証の各一、二によつて、外務省及び厚生省の所轄当局の記録上、当時の在満日本公館に原告に該当すると思われる者の出生届がなく、また満洲地区からの未帰還者或は死亡者中に原告の父と考えられる小野福太郎なる人物は存することが証明されないこと。

等がそれである。しかし、右(い)の点は前記原告の知能程度と、終戦後原告が中国の軍隊に随行して日本語に接しなかつたこと、その間怪我をして記憶力の減退を来したことと、証人中沼啓の証言により認められる抑留中、中国の人が日本人を呼ぶには日本名を中国の発音で、例えば同証人の場合だと「チユンチヤオ」(中沼)というふうに呼んでいた事実に徴し、たしかに不思議なことではあるが全くあり得ないことでもなく、これをもつて原告の日本国籍取得の可能性を否定することはできず、また、(ろ)の点は単に疑があるというのみでこれまた極め手とはならず、(は)の点についても終戦時の混乱を考えるとき脱漏がないとはいえず、これをもつてやはり国籍否定の確証とすることはできないので、右いずれも前記原告の日本国籍取得の蓋然性の肯定を覆えす理由とはならない。

なお、成立に争のない乙第六号証によると、原告は日本人でないことを認めて中国への送還を希望する旨の上申書を作成している(原告はこの書証の任意性を争つているが、証人東田数馬の証言に照らし、これが任意性がないとはいえない)が、右は甲第一五号証の二、及び証人温水常雄の証言、原告本人尋問(第二回)の結果等に照らして、検討してみると、当時の取調の過程で、結局自己の日本人との主張が取り上げて貰えそうもないので、それならば、日本語もできないし、いつそ中国へ帰つた方がましだと考えてその様な上申書を作成したものと認められ、これをもつて、原告が中国人であると断定することはできない。なおまた、前記乙第八号証の一、同第一四号証によると原告は中国に子供(中国人の女性との間に生れた子供)を残して来たと供述し(原告本人尋問(第二回)ではこれを否定する)ているが、必ずしも措信し難く、かりにその事実ありとしても、これが原告を中国人と断定する資料とならないことは申す迄もない。

以上認定事実によれば、本件においては、原告が外国人であると断定する確証はない。かえつて、原告の父母が日本人であるという蓋然性、ひいて原告が日本国籍を有することの相当高度の蓋然性を否定することはできない。そして、かかる蓋然性は本件退去強制処分に至る過程において、またその処分の当時に存在していたことは明白である。然るに被告は、原告が日本に国籍のない外国人であるとの断定の下に、原告に対し退去強制処分を下したものであり、この処分は明らかに違法であり、この点の瑕疵は重大であつて且つ右のとおり処分の当時から客観的に明白であつたものというべく、右処分を当然無効ならしめるものと解する。被告は、右原告についての国籍の認定は極めて困難であるから、その認定を誤つたとしても、その瑕疵は客観的に明白とはいえず、処分を無効ならしめるものではないと主張するが、前記原告が日本国籍を有することの蓋然性は処分の当時から存在したものであり、これを存在しないものと認定した点の瑕疵は客観的に明白な瑕疵に該当するものと考えるので、被告のこの点の主張は採用できない。

以上のとおりであるので、本件退去強制処分の無効確認を求める原告の請求は理由があつて認容すべきものである。

次に原告は、本件退去強制処分に基き被告が継続している収容処分の取消を求めているのであるが、現に原告に対し継続中の収容処分は、出入国管理令第二条第五項による収容であるところ、この処分は、退去強制処分を受けた者に対し、その処分の執行のためになされる附随的処分であつて、退去強制処分が無効とされた以上、これを継続する根拠は失われること明かであるから、重ねてその取消を求める利益はない。よつて原告のこの点の訴はその利益を欠くものであるからこれを却下すべきものとする。

よつて、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。(石崎甚八 潮久郎 安井正弘)

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